マイヒストリーの会 ~自分の半生を90分語り合い、聴き合う会~

「マイヒストリーの会」という普通の人々の半生を90分間聴くという活動で得た、生きるヒントをお伝えしています

ナナメの関係

家族のマイヒストリーを聴くというのは、

なかなかお互いに勇気の要ることです。

 

特に親子ともなると、

下手にお互い色々と知っているので、

「親の威厳が・・・」などと考えると

素直に話せないことも多いのではと思います。

 

そんな中、親族でもナナメの関係である

叔父・叔母なら話は聴きやすいのではないでしょうか?

相手にとっても話しやすい。

 

そんなナナメの関係性が

人間関係において、結構重要なんじゃないかと思います。

 

これを読んで頂いてる方も

是非、マイヒストリーまでは聴けないかもしれませんが、

叔父・叔母とちょっとゆっくり話をしてみてはいかがでしょうか?

 

両親の意外な一面も知ることが出来るかもしれませんよ!

 

ではでは。

一生に一度の主役のとき

マイヒストリーの会を

かれこれ3年も月1回か2回ほどやっているのですが、

なぜこんな大して儲かるわけでもなく、

(むしろ懇親会費用で足が出る場合すらある)

手間も多少かかるイベントをやり続けているのかなと

ふと考えることがあります。

 

大きな理由としては、

僕が人の半生を聴くことが楽しいということがありますが、

もう一つ、

「誰しもが一生に一度は主役になっていいんじゃないか」という

想いが挙げられます。

 

「主役」というと結婚式とか葬式とかが挙げられますが、

結婚式は主役とは言いながらも進行は全て決まっていて、

新郎や新婦が自由に語れる時間は10分もありません。

葬式はご承知の通り、当人は死んでしまっています。

 

そう考えると、主役になれるときって意外とないんですね。

 

それをマイヒストリーの会では基本的に自分の半生を話すという

縛り?はありますが、90分もの時間を語り部の時間として

与えています。

 

聴き手は語り部がどんな過去の経験を話そうとも、

基本的に黙ってただただ聴いています。

そんな他人に邪魔されずに90分語れる機会って

なかなかないのではないでしょうか?

 

今まで語ってくれた語り部の方たちも

それが分かってくれていたこそ、

その時間を大切にして、

自分の言葉で、出来る限り誠実にさらけ出して

くれていたのだと思います。

 

そしてその心を聴き手のみんなも分かっていて

大切に聴いてくださっているのだと思います。

 

そんな雰囲気が僕が好きで

続けているんじゃないかなと

書いていて思いました(笑)

 

ありがとうございます。

 

ではでは。

 

マイヒストリーの会の初回の語り部

こんにちは、マイヒストリーの幹事カオリンです。

マイヒストリーの会を様々なコミュニティでやってきましたが、

結構大切なのが一番最初の語り部だと思ってます。


過去のお笑いのM-1グランプリなどでもそうでしたが、
一番最初の組が「基準」になります。

このマイヒストリーの会も似たようなところがあり、
一番最初の語り部が「基準」になっていると思います。

「基準」というのは
どれだけ自分をだせるか?
要するにカミングアウトですね。

ここで一番最初の語り部が当たり障りなく
聴き手のみんなからよく思ってくれるようなマイヒストリーだと、
それ以降の語り部もおそらくあまり自分を出さずに
聞いていても面白くない内容になってしまうでしょう。

マイヒストリーの会はある意味語り部が
どれだけ自分を出せるかの、自分自身の勇気を試す場でもあります。

そして、その勇気が聴き手をひきつけます。

幹事の方は出来る限り、さらけ出してくれそうな人を第一回に指名して、
指名された人は、出来る限りの勇気を振り絞って
自分のことを語ってみて下さい!

 

みんな語り部の語りに触発されて、

語りたくなってきますよ!

 

ではでは。

自分の居場所

思えば人生って「自分の居場所探し」なのかなと
たまに思うことがあります。

「自分の居場所」というと
ある人は「自分が活躍できる場所」かもしれないし、
またある人は「自分が認めてもらえる場所」なのかもしれません。

「自分の居場所」の定義は
人それぞれだと思います。

僕にとっての自分の居場所は
「自分をさらけ出せる場所」です

マイヒストリーの会」
自分の過去をさらけ出すことによって
一人一人にとってそのような語り部の

「居場所」になることを目指しているとも言えます。

さらけ出した人から
そこが自分の居場所になる。
そういう会です。

 

ではでは。

「〇〇はあなたにとって何ですか?」という質問が大嫌いです

僕はテレビでのインタビューでよく聞く、


「〇〇はあなたにとって何ですか?」という質問が大嫌いです。



「そんなの聞いてどうすんの?」

「そんな簡単に言葉に出来るもんじゃないだろう!」

と声を大にしてインタビュイーに問いたい。

自分だったら答えることができるのだろうか?


僕たちはあまりに意味づけや定義づけをしたがるようになっていると思う。

そんな一義的に意味づけや定義づけ何か出来るもんじゃない。

色んなことが複合して出来上がってるケースの方が多いんだもの。

「すべてに意味を求める」ことから

現代人は一度離れる必要があると思っています。

 

ではでは。

仲良くしたい相手には自分の不幸な面、弱い面を見せていく

僕だけがそうなのかもしれないのですが、

マイヒストリーの会で、語り部の話を聴くときに

僕はどこかで「不幸な話」など、

その語り部にとってマイナスと思われる話を

期待している自分がいます。

 

でも、これは多くの人にとってそうじゃないかなと思っています。

正直に言って誰も「幸せ」ばかりの話は 聴きたくないのです。

「他人の不幸は蜜の味」と言いますが、

実際そうなんだと思います。

 

もちろん、その語り部にとってある面で

優越感を得たいという気持ちがあるのも事実だと思いますが、

それだけではないような気がします。

私たちは何故、他人の不幸な話を聞きたいのでしょうか?

多分、人間の心の琴線に触れる部分が「不幸」にこそ

隠れているんじゃないかなと思っています。

なんとなくですが・・・。

 

ですので、仲良くなりたいと思っている相手には

自分の不幸なことや、弱い面を

積極的に見せていってはどうでしょうか?

 

ではでは。

 

人は誰でも語るべき人生がある

「人は誰でも勇気を出して語るべき人生がある」

ということを モットーに

マイヒストリーの会をやっていますが、

(まあ他にも色んなモットーを持ちながらやってますが・・・)

 

裏を返せば、 「人にはなかなか語れない」

ということでもあります。

 

やはり親戚や友だちの反応というものは気になるもので、

「こんなことを言ったら、変に見られるんじゃないか?

 距離を置かれるんじゃないか」などと思ってしまいます。

 

マイヒストリーの会はだいたい10人前後でやっていますが、

一度本当に自分のことを話せる人だけという限定で

3人だけでやったこともありました。

 

これはこれでアリだと思っています。

知り合いを10人以上集めなければできないという会ではありません。

 

極論を言えば、語り部と聴き手、

二人がいれば出来るものです。

 

肝心なことは 、語り部は「自分の言葉で誠実に語ること」

聴き手は「相手への興味を持ち続けること」だと思います。

 

それさえあれば、人数はそんなに関係ないと思います。

(ただ、幹事としてはできるだけ多くの人に

聴いてもらいたいというのがあります)

 

今まで語れないことを胸の奥にしまっている方、

本当に近しい人だけとでも構いませんので、

一度「マイヒストリーの会」やってみてはいかがでしょうか?

 

ではでは、

宣伝でした(笑)