マイヒストリーの会 ~自分の半生を90分語り合い、聴き合う会~

「マイヒストリーの会」という普通の人々の半生を90分間聴くという活動で得た、生きるヒントをお伝えしています

マイヒストリーの会の初回の語り部

こんにちは、マイヒストリーの幹事カオリンです。

マイヒストリーの会を様々なコミュニティでやってきましたが、

結構大切なのが一番最初の語り部だと思ってます。


過去のお笑いのM-1グランプリなどでもそうでしたが、
一番最初の組が「基準」になります。

このマイヒストリーの会も似たようなところがあり、
一番最初の語り部が「基準」になっていると思います。

「基準」というのは
どれだけ自分をだせるか?
要するにカミングアウトですね。

ここで一番最初の語り部が当たり障りなく
聴き手のみんなからよく思ってくれるようなマイヒストリーだと、
それ以降の語り部もおそらくあまり自分を出さずに
聞いていても面白くない内容になってしまうでしょう。

マイヒストリーの会はある意味語り部が
どれだけ自分を出せるかの、自分自身の勇気を試す場でもあります。

そして、その勇気が聴き手をひきつけます。

幹事の方は出来る限り、さらけ出してくれそうな人を第一回に指名して、
指名された人は、出来る限りの勇気を振り絞って
自分のことを語ってみて下さい!

 

みんな語り部の語りに触発されて、

語りたくなってきますよ!

 

ではでは。

自分の居場所

思えば人生って「自分の居場所探し」なのかなと
たまに思うことがあります。

「自分の居場所」というと
ある人は「自分が活躍できる場所」かもしれないし、
またある人は「自分が認めてもらえる場所」なのかもしれません。

「自分の居場所」の定義は
人それぞれだと思います。

僕にとっての自分の居場所は
「自分をさらけ出せる場所」です

マイヒストリーの会」
自分の過去をさらけ出すことによって
一人一人にとってそのような語り部の

「居場所」になることを目指しているとも言えます。

さらけ出した人から
そこが自分の居場所になる。
そういう会です。

 

ではでは。

「〇〇はあなたにとって何ですか?」という質問が大嫌いです

僕はテレビでのインタビューでよく聞く、


「〇〇はあなたにとって何ですか?」という質問が大嫌いです。



「そんなの聞いてどうすんの?」

「そんな簡単に言葉に出来るもんじゃないだろう!」

と声を大にしてインタビュイーに問いたい。

自分だったら答えることができるのだろうか?


僕たちはあまりに意味づけや定義づけをしたがるようになっていると思う。

そんな一義的に意味づけや定義づけ何か出来るもんじゃない。

色んなことが複合して出来上がってるケースの方が多いんだもの。

「すべてに意味を求める」ことから

現代人は一度離れる必要があると思っています。

 

ではでは。

仲良くしたい相手には自分の不幸な面、弱い面を見せていく

僕だけがそうなのかもしれないのですが、

マイヒストリーの会で、語り部の話を聴くときに

僕はどこかで「不幸な話」など、

その語り部にとってマイナスと思われる話を

期待している自分がいます。

 

でも、これは多くの人にとってそうじゃないかなと思っています。

正直に言って誰も「幸せ」ばかりの話は 聴きたくないのです。

「他人の不幸は蜜の味」と言いますが、

実際そうなんだと思います。

 

もちろん、その語り部にとってある面で

優越感を得たいという気持ちがあるのも事実だと思いますが、

それだけではないような気がします。

私たちは何故、他人の不幸な話を聞きたいのでしょうか?

多分、人間の心の琴線に触れる部分が「不幸」にこそ

隠れているんじゃないかなと思っています。

なんとなくですが・・・。

 

ですので、仲良くなりたいと思っている相手には

自分の不幸なことや、弱い面を

積極的に見せていってはどうでしょうか?

 

ではでは。

 

人は誰でも語るべき人生がある

「人は誰でも勇気を出して語るべき人生がある」

ということを モットーに

マイヒストリーの会をやっていますが、

(まあ他にも色んなモットーを持ちながらやってますが・・・)

 

裏を返せば、 「人にはなかなか語れない」

ということでもあります。

 

やはり親戚や友だちの反応というものは気になるもので、

「こんなことを言ったら、変に見られるんじゃないか?

 距離を置かれるんじゃないか」などと思ってしまいます。

 

マイヒストリーの会はだいたい10人前後でやっていますが、

一度本当に自分のことを話せる人だけという限定で

3人だけでやったこともありました。

 

これはこれでアリだと思っています。

知り合いを10人以上集めなければできないという会ではありません。

 

極論を言えば、語り部と聴き手、

二人がいれば出来るものです。

 

肝心なことは 、語り部は「自分の言葉で誠実に語ること」

聴き手は「相手への興味を持ち続けること」だと思います。

 

それさえあれば、人数はそんなに関係ないと思います。

(ただ、幹事としてはできるだけ多くの人に

聴いてもらいたいというのがあります)

 

今まで語れないことを胸の奥にしまっている方、

本当に近しい人だけとでも構いませんので、

一度「マイヒストリーの会」やってみてはいかがでしょうか?

 

ではでは、

宣伝でした(笑)

 

待てるチカラ

マイヒストリーの会は、

話し方、話す内容ほぼ全てを語り部にお任せしています。

 

ですので、話す内容をきっちり準備してくる人もいれば

何も準備しないで話す人もいます。

 

準備していてもしていなくても

話が自分が想定していた方向から逸れることはよくあります。

 

なぜなら、マイヒストリーの会は

聴き手がとても熱心に聴いてくれるので、

語り手が興奮してしまうからです。

 

そこで、ふっと糸が切れたように

語り部が黙ってしまうときがあります

 

それは記憶が思い出せなかったり、

口に出してしまったことで感情が溢れ出してしまったりと

理由は様々です。

 

その間、だれも続きを催促したりはしません。

みんな語り部が思い出したり落ち着くのをじっと待ってます。

ただひたすら待ちます

(基本的に語り部の話を邪魔しないのが、マイヒストリーの会の根幹なので)

 

そうすると、しばらくしてまた語り部が語り始めます。

 

私たちは何もなかったかのように、

またじっくりと耳を傾けます。

 

現代は何でも早さが求められ、

すぐに結果や効果を求める風潮です。

 

でも、そうそう自分の思い通りにはいきません。

マイヒストリーの会はそういった、

自分にはどうにもならないものを「待つ」訓練にもなります。

 

「待てるチカラ」

 

意外とこれから必要な能力のような気がします。

 

意見と否定は紙一重

マイヒストリーの会では

語り部がマイヒストリーを語っている間も

その後も「意見」を言うのを控えて頂いています。

 

「意見」というと聞こえはいいですが、

語り部とは違った「意見」なので、

ありていに言えば語り部を半ば「否定」していると言っても

過言ではありません。

 

マイヒストリーはその名の通り 自分の「歴史」なので、

もう過ぎてしまったことなんです。

「それをああしておけば良かったのに」、

「こうしておけば良かったのに」というのは

これまで本人が一番考えてます!

 

「そんなん言われんかっても、分かってるわ!  

でも、そのときはしゃーなかったんじゃ!」

と僕なら思うでしょう。

 

詳しい背景も知らない、

たった一回聴いた聴き手が

さも分かった風な感じで意見するのは どうなのか?と思い、

「意見」は極力控えてもらっています。

 

あなたももし「相談」などではなければ

「意見」を言うのを少し我慢してみては いかがでしょうか? (特に男性)

案外と「意見」を求められているケースは実は少ないもんです。

特に男女関係においては・・・。

 

ではでは。