マイヒストリーの会 ~自分の半生を90分語り合い、聴き合う会~

「マイヒストリーの会」という普通の人々の半生を90分間聴くという活動で得た、生きるヒントをお伝えしています

「分からない」を受け入れていく

マイヒストリーの会では、

語り部が語っている最中の質問や意見は

基本的に控えてもらっています。

 

そうすると、どうしても分からない部分が

出てきたりします。

 

でも、質問はできません。

そうすると、分からない部分を分からないままに

過ごすことになります。

 

最初のうちは、しばらく気になったりしますが、

5〜10分も経つと、あまり気にならなくなります。

 

そもそも気になった、分からなかった部分があれば、

メモを取っていればいいのです。

この世界のあらゆる会話がそうだと思いますが、

相手の話を遮ってまで、確認しなければならないことというのは

それほどはありません。

大抵は後で確認しても支障はないものです。

 

マイヒストリーの会はそういった

聴き手の忍耐力・受容力も試される場になっています。

 

ではでは。

過去は変えられないけれど・・・

「過去と他人は変えられない。
 しかし、今ここから始まる未来と自分は変えられる」
という言葉を本で読みました。

エリック・バーンという人の言葉だそうです。

本当にその通りだなぁと思います。


でも、そうすると自分の過去をほじくり返す
「マイヒストリーの会」なんて意味ないんじゃないか?
と思うかもしれません。


確かにマイヒストリーの会の語り部は
既に過ぎ去った過去を、再びじっくり思い返すことになります。


でも、この行為が上の言葉にある
「今ここから始まる未来と自分」を変えるきっかけになると
思っています。


僕たちは多かれ少なかれ過去に囚われています。
その囚われが、これからの小さなことから大きなことまでの
「選択」に影響を与えていることは否定できません。


マイヒストリーをじっくり掘り返してみると、
その囚われた過去が今までとは違った視点で

見えたりすることがあります。

そうすると、自分のその過去に対する認識が変わります!

「あぁ、あれは確かに辛かったけど、
 今思ったら自分にとっては必要なことだったかもしれない」と。


そうすると、これからの人生の大なり小なりの「選択」も
変わってきます。


表面的には辛そう、しんどそう、面倒くさそうに見えても
「最初はしんどいけど、やっていくうちに変わっていくかも」という
考え方も出来るかもしれません。


このようにマイヒストリーの会の語り部になると
自分の過去に対する「視点」が変わる可能性があります。

そうやって自分の未来も変わっていくのだと思います。

 

ではでは。

不安や恐れからの守りの選択は止めておいた方がいい

よく見ている番組の一つに

NHK−BSの「グレートレース」というものがあります。

 

名前の通り、グレートなレースで

北極圏を何百キロと何日間も通して歩いたり、

荒野を何百キロも何日間も走り通したりと

人間の限界に挑戦するようなレースを特集しているものです。

 

僕はマラソンすら走ったことがないので、

参加者の方たちを尊敬の念を持っていつも観ています。

 

さて、先日の北極圏のグレートレースの番組で

印象的な出来事がありました。

首位を走ってた選手がチェックポイントで仮眠を取る予定でしたが、

まさに寝袋に入ろうとした時に

2位の選手が同じチェックポイントに入ってきました。

 

1位の選手は2位の選手を見て、焦った表情になり、

しばらく考えてから寝袋から抜け出し、

再び歩き出すことにしました。

 

1位を守りたかったからです。

 

しかし、焦っていたのか、

しばらく歩いてから先ほどのチェックポイントに

忘れ物をしたことに気づきました。

 

結局荷物をその場に置いて、

往復20分かけて取りに行きました。

焦りがミスを招いたのです。

 

自分の経験やこれまで聴いてきた様々な人のマイヒストリーを

振り返ってみると、

不安や恐れからの「守り」の選択は

あまり良い結果を生まないことが多いと感じます。

 

たとえ「守り」の選択をするにしても、

その元となる心には「積極性」や「主体性」が

あった方が良いと思います。

 

僕はたまに自分に言い聞かせることがあります。

「勇気が要る方を選べ」

 

なかなか、出来ないことでもありますが

読んでいただいた方の心にも何か響けばと思います。

 

ではでは。

 

 

 

語りの流れは脆いものである

「マイヒストリーの会」は最初
喫茶店のルノアールの会議室でやっていました。

 

でも、ほどなくして場所を貸し会議室に移しました。

 

何がマイヒストリーの会に適さなかったかというと

「店員が飲み物を運びに会議室に入ってくる」んですね。


語り部が語っている最中に入ってくるので、

やっぱり意識の流れが、語り部・聴き手双方ともに切れてしまうんですよね。

 

マイヒストリーの会をやってきてですが、

話の流れっていうのは思いのほか「脆い」です。


ルノアールの店員のように
誰か見知らぬ人が視界に入っただけでも止まるし、
携帯などの音がしただけでも止まる。

 

そしてまた語り出そうと思っても、

それは本来あった流れとは、おそらくですが、

微妙ながら話し方や感情の込め方が違うと思うんです。

そして概して
再び流れに乗り始めるまでに時間がかかります。


ですので、僕はなるべく邪魔の入らない
貸し会議室で行っています。

誰かの家でもいいのかもしれませんが、
家だと色んなモノがあるので、
聴き手が興味を持って目移りしてしまうんですよね。

 

というわけで、

今後マイヒストリーをやってみたいと思って頂ける方は
是非「会議室」をオススメします!

 

ではでは。

テレビでよくある大嫌いな質問

最初から言ってしまえば、

僕はテレビのインタビューでよくある

「〇〇はあなたにとって何ですか?」

という質問が【大】嫌いです。

 

なぜ嫌いなのか?

まず一番大きい理由としては

1.そんな一言でまとめられるわけねーだろ!

ということがありますが

2.インタビュアーが「人生」とか「宝」とか期待している答がミエミエ

3.全くインタビュイーの人間性を掘る質問になってない

などということが挙げられます。

 

特に一つのことにずっと打ち込んできた人に対して

この質問をするテレビのインタビュアーが多いんですが、

そこまで人生を賭けてやってきた人たちが

そんな一言で簡単に答えられるわけねーだろ!っていつも思います。

 

それに視聴者もその質問をそもそも望んでいるのかどうか?

改めて考えて欲しいなといつも思います。

 

グチになってしまいました。

 

ではでは。

重い話でも最期はいつも笑顔のマイヒストリーの会

マイヒストリーの会で語られる内容は
本当に結構重いんです。

やはり、信頼できる人を呼んでますし

みなさん熱心に聴いてくれるので、

語り部も「これも言えるかもしれない」と

語っている最中に思う人も多いのではないかと思います。


そのような雰囲気が作られる大きな理由として、
「質問や意見を言わない」というのが
挙げられるかもしれません。

 

誰しもが過去の自分のマイナスの出来事などを話すとき
「あのとき、ああしとけば良かった・・・」とか
「もっと違ったやり方があったかもしれない・・・」とか
すでにもう何度も考えています。


それをたった一度聴いた他人が
「こうすればよかったんじゃないの?」とか
「あれは間違いだったよね」とか言われると
正直、ムカっときますし、かなり傷つきます。


マイヒストリーにはそういうのはありません。
むしろ、そういった後悔のようなものさえも
聴き手に語ることによってその場に「置いて」これるのかもしれません。

 

そうすると、内容が重い話でも語り終えた人は
とてもすっきりした顔をして


最後には笑顔になっているんです。

 

もし、ご興味があれば

あなたのお友達同士でマイヒストリーの会を開いてみませんか?

喜んでお手伝い差し上げます。

 

ではでは。

 

本当の「強さ」とは

一度、一緒に素人演劇をした仲間が

マイヒストリーの会で語ってくれたことがありました。


実は、彼女には過去に大きな出来事があったのですが、
(一般的に言って「良い」出来事ではないです)
その話が出るがどうか、
聴き手でもある僕はすごく興味を持っていました。

「でも、まだあまり時間が経っていないし、語らないかもなぁ~」

と思っていたところ、
これでもかというほどさらけ出してくれました。


逆にこっちが「そんなに出し切って大丈夫?」と
心配してしまうくらいに・・・。


語りがその話題に入ってしばらくすると
僕の目から涙が出ていました。


そしてこうも思いました。
「なぜ、彼女はこんなにも

 自分にとってマイナスの部分をさらけ出すことが出来るんだろう?

 自分には出来るだろうか?」と・・・。


「強さ」というのは
「身体が強い」とか「怒られても立ち直る」とか色々ありますが、
「自分の弱さ、マイナス面をさらけ出せる」ことが
「一番強い」ことなんじゃないかなぁと思いました。

みなさんはいかがでしょうか?