マイヒストリーの会 ~自分の半生を90分語り合い、聴き合う会~

「マイヒストリーの会」という普通の人々の半生を90分間聴くという活動で得た、生きるヒントをお伝えしています

本当の「強さ」とは

一度、一緒に素人演劇をした仲間が

マイヒストリーの会で語ってくれたことがありました。


実は、彼女には過去に大きな出来事があったのですが、
(一般的に言って「良い」出来事ではないです)
その話が出るがどうか、
聴き手でもある僕はすごく興味を持っていました。

「でも、まだあまり時間が経っていないし、語らないかもなぁ~」

と思っていたところ、
これでもかというほどさらけ出してくれました。


逆にこっちが「そんなに出し切って大丈夫?」と
心配してしまうくらいに・・・。


語りがその話題に入ってしばらくすると
僕の目から涙が出ていました。


そしてこうも思いました。
「なぜ、彼女はこんなにも

 自分にとってマイナスの部分をさらけ出すことが出来るんだろう?

 自分には出来るだろうか?」と・・・。


「強さ」というのは
「身体が強い」とか「怒られても立ち直る」とか色々ありますが、
「自分の弱さ、マイナス面をさらけ出せる」ことが
「一番強い」ことなんじゃないかなぁと思いました。

みなさんはいかがでしょうか?

普通の人の半生を聴くということ

マイヒストリーの会で半生を聴く人の全てが

俗に言う一般人、普通に生活している人たちです。

 

僕たちは本やテレビなどで、

よく有名人の半生を知ることがありますが、

自分の身の回りにいらっしゃる

家族、友だち、同僚の半生も有名人に負けず劣らず

面白いものです。

 

自分に近い人たちだからこそ、面白いとも言えます。

改めて半生を聴いてみると、親兄弟といえども

知らなかったことがどんどん出てくるはずです。

 

家族同士と言っても、あえて言わないことは意外とあるものです(笑)

話してくれないこともあるかもしれませんが、

改めてマイヒストリーの会のようにイベントにすることによって

相手に語る「機会」を与えることにもなります。

 

是非、試してみられてはいかがでしょうか?

 

ではでは。

待つ力

マイヒストリーの会は、話し方、話す内容

ほぼ全てを語り部にお任せしています。

ですので、話す内容をきっちり準備してくる人もいれば

何も準備しないで話す人もいます。

 

準備していてもしていなくても

自分が想定していた方向から、話が逸れることはよくあります。

なぜなら、マイヒストリーの会は

聴き手がとても熱心に聴いてくれるので、

語り手が興奮してしまうからです。

 

また、ふっと糸が切れたように

語り部が黙ってしまうときがあります。

それは記憶が思い出せなかったり、

口に出してしまったことで感情が溢れ出してしまったりと

理由は様々です。

 

その間、だれも続きを催促したりはしません。

みんな語り部が思い出したり、落ち着くのをじっと待ってます。

ひたすら待ってます。

(基本的に語り部の話を邪魔しないのが、マイヒストリーの会の根幹なので)

そうすると、また語り部が語り始めます。

 

私たちは何もなかったかのように、

またじっくりと耳を傾けます。


今はなんでも早さが求められ、

すぐに結果や効果を求める風潮です。

でも、そうそう自分の思い通りにはいきません。

マイヒストリーの会はそういった、

自分にはどうにもならないものを

「待つ」訓練にもなると思っています。

 

ではでは

 

そんなに「意味」って大事なの?

僕も昔は今よりもさらに頭でっかちだったもんですから、

「それは何の意味があるんですか?」

などと会社の先輩などにエラそうに質問していました。

 

今、色んな人のマイヒストリーを聴くとよく分かります。

「意味ってそんなに大事なのか?」と。

 

そこで意味を説明されても、

正直に言って納得できないことは往々にしてあります。

それは、自分がまだ知識も経験も持ち合わせていないので、理解できない。

何年も経った後で分かってくるもので今は分からないなどというものです。

 

でも、僕を含めた現代の人は意味を求め過ぎる。

「意味」というと聞こえがいいので、

もっとあからさまに言えば「メリット」を求め過ぎます。

しかも「超短期的なメリット」を!

 

てっとり早く、理解したい!

てっとり早く、マスターしたい!

てっとり早く、成果を出したい!

 

自分もご多分に漏れないですが、

そんな欲望で巷は溢れかえっています。

 

でもそんな「てっとり早く」得たものは、

本当に自分の身になっているのでしょうか?

力になっているのでしょうか?

知恵になっているのでしょうか?

 

マイヒストリーの会は参加しても

正直に言って目に見える「意味」や「メリット」などは

何もありません。

ただただ、目の前の語り部の半生をじっくり聴いて楽しむ。

それだけを目的にしているからです。

 

でも、90分かけて聴き手の中に浸透した語り部のヒストリーは

いずれどこかでポッと顔を出すような気がしています。

そんな会があってもいいですよね。

 

ではでは。

過去を振り返るというよりは過去を置いてくる

「過去なんか振り返ったって仕方ない。

 前を向いて生きなきゃだめだ!」

 

という言葉をよく耳にします。

 

確かにおっしゃる通りだと思います。

過去を振り返って

昔話に花を咲かせたり、昔の自慢をしたりなどは

正直に言ってあまり頻繁にやるものではないと思います。

 

「おいおいおい!

 マイヒストリーの会なんてその過去の振り返りの

 最たるもんじゃないか!」

 

というツッコミが聞こえてきそうですが、

マイヒストリーの会の語り部は確かに「振り返る」

どころじゃありません。

「メチャクチャ振り返り」ます(笑)

そんな中途半端な振り返りじゃないんです。

そもそも自分の両親の半生から振り返りますから!

もう振り返るレベルが違うんです!

 

そこまで、振り返るとさすがに「もう十分だ・・・」と思います。

そして、当日語り部となって

人前で90分もかけて語ると・・・

それは自分の過去を「置いてくる」という感覚になります。

 

もうこれでほぼほぼ出し切ったから、

「後は聴いているみんなで煮るなり焼くなり好きにしてくれ!」

という気分なんですね。

 

マイヒストリーの会で過去を置いてきた語り部は

とてもスッキリした顔をしています。

それもそのはずです。

「置いてきた」のですから。

 

もしご興味があれば、あなたも自分のコミュニティーで

マイヒストリーの会をやってみませんか?

 

私がお手伝いします!

 

ではでは。

 

 

 

飲み会での思い出話

思えばマイヒストリーの会を始めるきっかけになった一つとして

飲み会での会話があります。

 

飲み会でよく小学生や中学生時代の話などになった際に、

自分としては例えばAさんの話を聴きたかったとしても、

みんな酔ってるからそこにBさんが割り込んできたりして

満足に聴けないということがよくありました。

 

みんなの小さい頃の話をもっと聴きたい!と思っても、

飲み会ではさっき終わった話を蒸し返すのは

場を盛り下げるということもあり、

たびたび遠慮してきました。

 

でもこの「マイヒストリーの会」では、

幹事権限で語り部が語っている途中での質問や意見は

禁止させてもらっているので、

誰にもさえぎられることなく、じっくり聴くことができます。

 

飲み会は飲み会で楽しいのですが、

みんな「語りたい!」欲が露骨に出てしまいますよね(笑)

 

ではでは。

人は見た目が0割

「人は見た目が10割」という本がよく売れたのは

記憶に新しいところだと思います。

確かに初対面ですと「見た目」で判断するところが大きい

ということは言うを俟たないところではあります。

 

しかし、じゃあ見た目の印象でその人のことが分かるのか?

と言えば、これも「分からない」ということが

言うを俟たないところです。

 

さらに言えば、たった2,3回会って話をしただけでも、

10回以上会っていたにもかかわらず
実は「相手を知らない」ことが往々にしてにあります。


マイヒストリーの会はそういった

お互いの「知らないことを埋めていく」活動でもあります。

相手のご両親のことや生い立ちなど、これまでの人生を聴くと

なかなか相手を否定することは難しくなります。


何かちょっと悪いことをしたとしても

「何か理由があったのでは?」と

思うようになります。


罪を憎んで、人を憎まずとはよく言ったものです。

相手の行動だけを見てそれを責めるのではなく

その背景に何があったのかを考えてみる。


相手とそういう関係を築くことが出来る方法の一つとして

「マイヒストリーの会」は存在していると思います。

 

ではでは。